世界人口は新たな形を取ろうとしています。昨年11月には全世界の人口が80億を超え、かつてない水準に達しました。同時に、出生率の世界平均はこれまでで最低の数値となっています。世界の人口ランキングは、今後25年で大きく変わる見込みです。一部の国々では年齢の中央値が50歳ほどになるのに対し、15歳ほどとなる国もあるでしょう。
それが何を意味するのか、誰もが知りたいと思っています。
明確な答えが示されない限り、人権やリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)が侵害される恐れがあります。
実際、そうしたことが既に起こっている場所もあります。一家族当たりの子どもの人数が制限されたり、公立病院で避妊薬・具を処方することが禁じられたり、女性たちがキャリアを諦めて母親になることが求められたりといった事態が起きているのです。
本日、性と生殖に関する健康を推進する国連機関、国連人口基金(UNFPA)は旗艦報告書「世界人口白書」の2023年版を発表します。今年のテーマは『80億人の命、無限の可能性:権利と選択の実現に向けて(8 Billion Lives, Infinite Possibilities: The case for rights and choices)』です。
本白書は、2つの明確なメッセージを伝えています。1つ目は、人口についての誤った神話を正すことです。
多くの人々が、この世界の人口は多過ぎると言います。例えば、気候危機の要因は出生率であると非難しています。最近の調査によると、人口に関わる意見として多くの人々が「世界人口は多過ぎる」、「出生率は高過ぎる」と考えていることがわかりました。このような論理に基づけば、地球温暖化は限られた資源しか持たないこの地球において、人類が急増したために引き起こされたとする推論が成り立ちます。
この考え方によると、誤った人々に責任を転嫁することになってしまいます。世界で排出される温室効果ガスの半分に対して責任を負っているのは、世界人口のたった10%の人々です。出生率が最も高い国々は、温暖化に関する責任は最も少ないにもかかわらず、その影響を最も被っています。出生率だけに注目すると、豊かな国々での消費を削減するといった本来の解決策から目をそらすことにもつながります。
低い出生率が、高齢化社会およびそれに伴う経済不安の主な原因になっているという神話も正す必要があります。十分な数の子どもを産んでいないと女性を責めていては、人権を守りつつ実行することのできる、より現実的な案を見落とすことになります。例えば、少子高齢化が進行している国々では、労働市場におけるジェンダー平等を達成し、子育て支援を拡大し、労働力不足を補うために移民を受け入れることで、より生産性を高めることができます。
こうした神話を基に人口を見ると、世界を進歩させてきた実際の原動力を見誤ることにつながります。全人口における高齢化が進んでいるのは、私たちが長く生きるようになっているからです。1990年以降、平均余命は10歳近く延びました。出生率が変化しているのは、より多くの女性がリプロダクティブ・ヘルスケアを享受することができるようになってきたからです。
白書の2つ目のメッセージは、私たちはこれまで誤った問いを投げかけてきたということです。
問題は、人口が多過ぎるのか、または少な過ぎるのかではありません。問うべきは、望む数の子どもを希望する間隔で産むことができるという基本的人権を、すべての人が行使できているかどうかです。
そして、その答えは間違いなく「いいえ」です。
最新のデータによると、44%の女性たちが身体に関する自己決定権を行使することができず、避妊や保健サービス、性行為とそのパートナーに関する選択ができません。
世界全体では、すべての妊娠のうちほぼ半数が意図しないものです。一方で、もっと多くの子どもを望んでいるのに、実現することができていない女性たちも多数います。希望する数の子どもを実際に持つことができている女性の割合は、低・中所得国の多くで4分の1ほどと、低い水準に留まっています。
なぜそうした状況になっているのでしょう?
UNFPAでは130か国以上において、性と生殖に関する健康サービスを支援する取り組みを通し、その理由を日々目にしてきました。
その一つが、若者たちに自分の身体とその権利についての基本的な情報が行き届いていないことです。男性も女性も避妊に際して限られた選択肢しか知らず、避妊薬・具を手に入れること自体ができていないのです。性暴力の被害者を支援するUNFPAの取り組みを通して、最も極端な形のジェンダー不平等が、いまだにあらゆる場所に存在していることがわかっています。
職場や家庭における性差別といった構造的な状況が、不本意ながら子どもを持つことができない状況をいかに助長してきたかを、経験と調査は示しています。不妊の予防と治療の手段は、いまだに不十分です。
出生率の目標を設定したり、優生学の観点から夫が妻に性行為を強いることを許す法律を制定したりなど、権力者たちが子どもを産む女性の能力を道具として利用することの危険性を、歴史は警告しています。夫や義父母や国家といった家父長的な社会構造により、女性の身体が繰り返し押さえつけられるのが、目撃されてきました。国際社会はそうした慣習に終止符を打つべきです。
歴史はまた、恐れが誰かを傷つける道具にもなりうることを示しています。人口が多過ぎる、または少な過ぎるという恐れは長年に渡り、そして今でも、外見や生活様式が異なる人々を排除し、害を及ぼしてきました。
出生率を問題視することでは、世界における最も深刻な課題を解決することはできないでしょう。
問題視されるべきは不平等です。誰のことを考慮し、誰を考慮すべきだと思うか、という不平等です。
白書によると、年間50万件もの出産が10歳から14歳の少女たちによるものです。妊娠できるということ自体を本人たちが理解していないかもしれないほど若い年齢です。性行為に同意するには彼女たちはあまりにも若すぎるため、意思とは関係なく結婚させられたか、性暴力の被害に遭ったか、もしくはその両方の場合もあります。
ごく最近まで、世界ではこれほど若い少女たちの妊娠についての調査がありませんでした。
あまりにも長い間、女性一人当たりの出生数などの数字に固執するあまり、女性たちが何を望むかに耳を傾けずにいました。
今こそ、人口データ以外の問いに目を向けましょう。不平等こそが課題です。それは権利と選択の問題です。誰が享受することができていて、誰ができていないのでしょうか?
つまるところ、人口とは人々のことです。誰もが機会を与えられ、健康で、十分な教育を受け、権利を行使することができれば、個人と社会は共に繁栄することは、さまざまなデータにより十分に証明されています。
すべての人々の権利、尊厳と平等が真の意味で尊重され、保障されれば、無限の可能性を秘めた未来への扉が開かれるでしょう。