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ポーランド・メディカ:妊娠4ヶ月目のイヴァンナ・ポブシェヌイクさん(32歳)は、ウクライナ西部のイワーノフランキーウシクの自宅から、2人の子どもを連れて避難しました。故郷に残ることを望んだ65歳の父親とは、その時離れ離れになってしまいました。行き先は、イヴァンナさんの夫が過去5年間働きながら暮らしているベルギーのアントワープでした。

 

「夢や計画が壊される瞬間は恐ろしいものです」とイヴァンナさんは語りました。「親戚や友人が亡くなっても、何もできません。数分のうちに、必要なものを全て持って知らない場所に逃げていかなければならないのです」

 

イヴァンナさんたちはヤレムチェという近くの町に行き、そこからバスに乗って6時間移動し、ポーランドとの国境近くに辿り着きました。その後、彼女と二人の子どもたち、スニアザンナ(12歳)とアルトゥール(8歳)、は4時間かけて国境検問所まで歩きました。道のりの険しさから自宅に引き返すことも考えましたが、寒さの中でさらに5時間並んで待ち、なんとかポーランドの地に足を踏み入れることができました。

 

「人々がとても親切で涙があふれました。食べ物やおむつを分けてくれて、できる限りの手助けをしてくれるような人に、私はこれまで出会ったことがありません。とても感動しました」と話すイヴァンナさん。戦争には「恐ろしい側面と優しい側面とがあるのです」と続けました。

 

これまでに420万人以上がウクライナから避難し、240万人以上がポーランドに入国しました。このうち41%が同国での滞在を考えています。国民教育大臣によると、8万5,000人のウクライナの子どもたちがこれまでポーランドの学校に転入しており、その数は日々1万人ずつ増えています。

 

喪失に次ぐ喪失

 

16時間に及ぶさらなる移動の後、イヴァンナさんら家族はベルギーのアントワープで再会することができました。その1週間後、お腹の赤ちゃんが亡くなりました。「これまでのストレスや体験、厳しい道のりが、流産の原因だと思います」と彼女は話しました。

 


イヴァンナさんの子どもたちは現在、避難先のベルギー・アントワープにある学校に通っています。© Martin Thaulow

戦争開始当初、UNFPAはウクライナにいる25万6,000人の妊産婦のうち8万人が3か月以内に出産し、多くが重要な母子保健にアクセスすることができないと予測していました。それ以来、地下(の避難シェルターなど)で生まれた赤ちゃんや爆撃によって瀕死の妊産婦と未熟児の画像など、次々と画面を通して目にすることになりました。

 

UNFPAウクライナ事務所代表のハイメイ・ナダルは、このような危険な状況での出産件数は急増しており、出産に伴う合併症も増加していると話しています。

 

UNFPAは、安全な出産のサポートを含め、50万人分のリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)関連ニーズに応えるため、13トンの救援物資と医薬品、医療関連機器を提供しました。また安全な出産を支援するため、産科クリニック1つを含む3つのモバイルクリニックを派遣しました。

 

イヴァンナさんの自宅は現在、ウクライナ南東部のザポリージャでの爆撃から逃れてきた家族の一時的な避難所となっています。今は誰もが「一時的」な状況にいます。故郷から約1,700キロ離れた滞在先で、現在、2人の子どもたちは学校に通い、イヴァンナさんは清掃員の仕事を見つけましたが、この暮らしがずっと続くことにならないよう願っています。

 

「平和が戻ったら、ウクライナに帰ります。故郷には家族や友達がいて、学校があります。みんなが私たちを待っています」と話すイヴァンナさん。「家に帰って、空襲警報を聞くことなく、平穏に眠ることができ、静かな生活が送れるようになることを夢見ています」――。

 

 

本文は当該記事を、駐日事務所にて翻訳・編集したものです。

 

 

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ウクライナで活動を行っているUNFPAは現在、ロシアによる軍事侵攻と被害の拡大により、甚大な被害を受けた女性と少女たちの命と尊厳を守るための人道支援活動を拡大しています。そのための「ウクライナ緊急支援寄付」を立ち上げ、皆さまのあたたかいご支援、ご協力を呼びかけています。

 

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