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国連人口基金事務局長 死去(1)

 

国連人口基金(UNFPA)事務局長の死去のお知らせ

深い悲しみとともに、国連人口基金(UNFPA)は、事務局長ババトゥンデ・オショティメインが昨晩(6月4日)自宅にて急逝したことを発表します。68歳でした。

「これはUNFPAだけでなく、彼がナイジェリアで医者になったときから、自らの人生を捧げてきた多くの人々、特に女性や少女、若者たちにとって大きな損失でした。UNFPAは、事務局長の家族に対し、心からお悔やみを述べ、祈りを捧げます」

「オショティメインは勇敢で、挑戦を恐れることはなく、また彼の強いリーダーシップは、世界中の女性や少女の健康と権利を、国際的な課題の中で優先することに貢献しました。彼は、世界に18億人いる若者たちが、未来におけるまさに世界の最高の希望であることを理解していました」

UNFPAは今後も、オショティメインの女性や若者を思う強固なビジョンを継承し、全ての人々、特に最も脆弱な立場の思春期の少女たちの人権と尊厳のために立ち向かっていきます。

オショティメインは、3つの革新的な目標を精力的に推し進めていました。1つ目は、予防可能な妊産婦死亡をゼロにすること、2つ目は、家族計画に関するニーズを全て満たすこと、そして3つ目は、女性や少女に対して行われている有害な風習をゼロにすることです。UNFPAは一丸となって、これらのグローバルな目標の下に結集し、彼のレガシーを引き継いでいきます。

オショティメインは医者であるとともに、公衆衛生の専門家であり、2011年1月1日にUNFPAの四代目事務局長および国連事務次長に就任しました。

前職は、ナイジェリアの保健大臣およびナイジェリア国内のHIVエイズ対策を調整する国家HIVエイズ対策機構事務局長などでした。

1972年にナイジェリアのイバダン大学で医師免許を取得し、1979年にイギリスのバーミンガム大学で医学博士号を取得しました。1980年にイバダン大学の教授となり、臨床病理学部長を務めた後、1990年に医学大学院学長に選出されました。2005年12月にナイジェリア政府から栄誉あるニジェール勲章を授与された他、世界経済フォーラムなど複数の委員長を務めました。

既婚、5人の子供の父であり、複数の孫の祖父でもありました。

 

国連事務総長からの追悼メッセージ

国連人口基金事務局長ババトゥンデ・オショティメインの死去に寄せて

親愛なる同僚、そして友であった国連人口基金(UNFPA)事務局長ババトゥンデ・オショティメインの突然の死に、深い哀悼の意を表します。ご家族、UNFPAの職員、彼の母国であるナイジェリアの国民の皆様、そして彼の死に際して哀しみを抱いている世界の皆様に対して、心からお悔やみを申し上げます。

世界は、すべての人々の健康そして福祉の偉大なる擁護者を失いました。

ババトゥンデ氏はUNFPAにおけるリーダーシップと、世界中の女性、そして特に少女達のために力強い支援の提唱者として世界で称賛されてきました。

性と生殖に関する健康・権利は、国際的な課題の中でも最も重要な課題の一つであると同時に、多くの場合デリケートな問題でもあります。ババトゥンデ氏の穏やかでありつつも、熱心な努力により、多くの家族が必要としている性と生殖に関する健康サービスを享受することができました。また、1994年にカイロで行われた国連人口開発会議(カイロ会議)において採択された行動計画を世界的に推進しました。ナイジェリアの保健大臣であった頃も含め、長年に渡り、家族計画、女性の教育、子どもの健康、そしてHIV/エイズへの対応など、人類の発展において不可欠な要素であることを訴えた彼の発言は非常に貴重なものでありました。

この度の不幸に際し、ババトゥンデ氏の生涯にわたる貢献に感謝の意を表します。

ニューヨーク 2017年6月5日
国連事務総長
アントニオ・グテーレス

 

ナタリア・カネムを国連人口基金事務局長代行に任命

ババトゥンデ・オショティメイン事務局長の急逝を受けて、国際連合のアントニオ・グテーレス事務総長は、国連人口基金(UNFPA)の事務局長代行にナタリア・カネムを任命した。
2016年7月よりUNFPAの事務局次長を務めるカネムは、本日2017年6月5日より任務に就く。

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